ホーチミン便り

第二回 Oct. 08, 2011                            2012/05/01掲載

ベトナムと日本といえば西暦761年から6年間ハノイに阿倍仲麻呂が安南都護府、唐の官僚として6年ほどいたそうです。また世界遺産のホイアンには1500年後半から1600年前半ころまで多くの日本人が住み日本人町を作りましたが、その後鎖国政策で衰え消えて行ったようです。ベトナムは秦の始皇帝の時代から1000年近く中国支配下または抗争をつづけ、その後約600年はベトナムとして黎朝、李朝、陳朝、阮王朝と続きましたが、アヘン戦争のとばっちりでフランスに統治され、さらにフランス、日本の二重統治、第二次大戦後は再びフランスが統治しようとして失敗、日本の降伏とともに1945年にはホーチミン(胡志明:本名グエン・アイ・コオック)が香港で結社したベトナム共産党として独立宣言し運動を進めました。がそれもつかの間フランスの傀儡政権として南ベトナム(ベトナム共和国)が1949年にでき1954年にフランスがディエンビエンフーで敗れ、停戦協定により17度線で南北にわかれました。1955年名目的に存在してた皇帝を廃し、ゴ・ディン・ジェムがベトナム共和国初代大統領に就任。(なつかしい名前!そいえば今年7月南カリフォルニアで元南ベトナム副大統領グエン・カ・オキも亡くなりました、最後はスーパーのオヤジだったそうです)1959年には北の政権は南を解放することを決定。抗米救国戦争(世に言うベトナム戦争)宣言、1960年「南ベトナム解放民族戦線」が結成されました。

旧大統領官邸
旧大統領官邸

このころから日本では小田実らがリードして「ベ平連:ベトナムに平和を市民運動連合」が全国に広まったのです。ここから我らが元リーダー菅直人先生もスタートしたのでしたネ。1963年軍事クーデターでゴ・ディン・ジェムは暗殺され、北爆を決断したケネディも同じ年、すぐそのあとに暗殺されました。日米TV中継の最初の画像・・・・翌1964年東京オリンピックの年から北爆が開始されました。また同じ年、北ベトナムと米国がトンキン湾で直接交戦し、これよりこの戦争は北ベトナム対南ベトナムから北ベトナム対米国へと様相が変わってしまいました。1968年の北ベトナムによるテト攻勢(旧正月は休戦が暗黙の了解だった)で米国の形勢が一気に悪化、かつ国内外の反戦運動が強まり、ジョンソン大統領は北爆中止宣言、しかし1970年カンボジアのロンノル将軍によるクーデターでシアヌーク元首が追放されると南ベトナム+米軍でカンボジア侵攻、1972年にはラオスにも南ベトナム+米軍が侵攻、北爆も再開されました。が世界中の非難を浴び即中止、1973年には3国間(米国、南、北ベトナム)和平協定が成立。なんとなんと日本は即時に北ベトナムと国交樹立したのです。

大統領官邸の屋上
大統領官邸の屋上

1975年TVで見たあのサイゴン陥落、4月30日南ベトナム大統領官邸からヘリコプターで米国大使、グエン・バン・チュウ元大統領が脱出し、ベトナムは統一されたのです。この年に日本はハノイに大使館を開設してるんです!(昨今のウジウジグズグズからは考えられない素早さ?)しかしこのあと、ベトナムはカンボジアに侵攻し、一方で中露の駆け引きのなか中国が技術者を全員撤退、79年中国軍が1000年以上経てまたベトナム国境を越えてきて中越戦争、すぐに収束しましたが、この間1989年までカンボジアと戦争していたのです。

長い長い間ズーッと戦争していたのですが、これでやっと終わったのです。負けたことがない、のが自慢ですが経済も人材も疲弊しきっています。目前の困難には果敢に立ち向かい必死に生き抜くのですが、落ち着いて平穏になると、何をどこから、どうやって手を付ければいいのか、わからない人が多いらしいのです。

戦利品・US戦闘機
戦利品・US戦闘機

一方1986年にはベトナム版経済開放政策:ドイモイ政策宣言をしました。その後は今のような経済向上に向けてひた走り、2000年の米越通商協定締結、ボートピープルで米国、オーストラリアへ渡った元ベトナム人の帰郷も可能となりました。またベトナム戦争後半には米軍に次ぐ兵力として参戦していた韓国は現在、対ベトナム投資ではTopの座を占めてます。もうここホーチミン(サイゴン)でも戦争の形跡は博物館で見るくらいです。ベトナムの平均年齢が27.7歳(日本は44.6歳くらい)。戦後36年なのです。ほとんどの人が戦後生まれなのです。日本の戦後36年というと昭和56年(1981年)です。そりゃそうです、昭和20年の40年前が日露戦争ですから、その話を聞くような時代感覚です。

ただ自分が自覚なく馬齢を重ねただけだった・・・・・

色即是空・・・移ろいゆくことだけが真実さ!

お釈迦様(お逆さま、ではありません)がおっしゃってました。

 

またいずれ。         

 

2011年10月8日@HCMC

今福民生

 

 

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